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Yokohama, Japan
Ludus Quartett
since 2010
Yokohama Art Festival
〜Ludus Quartett Winter Concert〜
World of Early Music at
the Bluff District No.2
F.J.Haydn
String Quartets "Hunt" Hob.III-1 Op.1-1
W.A.Mozart
String Quartets No.8 K.168
L.v.Beethoven
String Quartets No.4 Op.18-4
Program Note:Mori, Akane
J.ハイドン(1732-1809)
弦楽四重奏曲 第1番〈狩り〉Hob.III-1, Op. 1-1 (c.1760)
ハイドンの750曲を超えると言われている作品の中の作品番号1番の第1曲目が、今回 最初に演奏される曲です。6曲セットで Divertimenti a quattroとして書かれています。すなわち「4つの楽器のためのディヴェルティメント」と言うことです。ディヴェルティメントは、日本語では「喜遊曲」と呼ばれています。貴族の行事や食事の時などに演奏される明るい社交の音楽です。演奏の形態は一様ではなく、それぞれの声部に一人の演奏者の場合もあれば、何人かのグループの場合もあります。つまり、この曲が現在の弦楽四重奏の形、一声部に一人の演奏家として演奏されたかどうかは確かではありません。しかし、この作品は弦楽四重奏というジャンルの誕生の瞬間、またはそれに準ずる瞬間の曲と言えます。
この曲の作曲された時期もまた、確定されていません。1750年の後半から1760年の前半に書かれたと言われています。ということは、若きハイドンが、生活面で最も不安定な時期から抜け出しつつある頃です。ボヘミアのカール・モルツィン伯(Count Morzin)の宮廷楽長の職に就いた頃、または、モルツィン伯の経済状況の悪化により解雇された直後にハンガリーの大貴族、エステルハージ家 (Eszterházy family)での副楽長の仕事を得た頃です。
この曲は変ロ長調で書かれていて〈狩り〉という名前が付いています。第1楽章のリズムが、狩りに向かう馬を思い起こさせます。およそ25年後 (1784年) にモーツァルトも〈狩り〉という名の弦楽四重奏を作曲しています (第17番, K. 458 ) 。このモーツァルトの〈狩り〉も変ロ長調で作曲されています。モーツァルトはハイドンのこの曲を踏襲したのでしょうか。また、このハイドンの作品番号1のセットのすべての曲が、5楽章形式です。2楽章と4楽章がメヌエット・トリオです。
現在では4楽章しかないモーツァルトのセレナーデ、〈アイネ・クライネ・ナハトムジーク / Eine Kleine Nacht Musik K. 525)も本来は2楽章にメヌエット・トリオの楽章がもう1つありました。ここにもハイドンの初期の弦楽四重奏曲とモーツァルトの関係が見られ、興味深いです。
W.A.モーツァルト(1756-1791)
弦楽四重奏曲 第8番〈ウィーン四重奏曲 第1番〉へ長調 K. 168 (1773)
〈ウィーン四重奏曲〉は1773年の終わりの頃に書かれました。すなわち前曲の〈ミラノ四重奏曲〉と同じ年に作曲されたわけですが、その数ヶ月間におけるモーツァルトの飛躍的進歩が感じられます。〈ウィーン四重奏曲〉の6曲すべてが、すでに古典派の基本的な4楽章形式になっています。これはハイドンの弦楽四重奏曲、Op. 9 、Op.17、Op.20 〈太陽四重奏曲〉 の影響とも言えますが、当時のウィーンで他の作曲家達も用いていた形式です。また反対に、ハイドンの弦楽四重奏曲 Op.33 〈ロシア四重奏曲〉 が、ウィットに富み軽快なのは、モーツァルトの〈ウィーン四重奏曲〉の影響とも言われ
ています。
ちょうど同じ頃、モ−ツァルトは 交響曲25番 K.183ト短調 を作曲しています。映画〈アマデウス〉の冒頭に使われたこの交響曲は、モーツァルトがシュトゥルム・ウント・ドラング(Strum und Drang 疾風怒濤)の動きの影響を受けている曲として知られています。〈ウィーン四重奏曲〉とは、随分とス
タイルが違います。
この曲の第1楽章では、ソナタ形式の第2主題の始まり(第19小節)がはっきりとしているのに気づきます。これは付点のリズムの出現によるものです。この第2主題は2度音程のみで、あまりメロディーらしいとは言えませんが、上声の付点のリズムとヴィオラとチェロによるバスの動きの組み合わせ、そして音の強弱の頻繁な変化のみで、魅力的な主題となっています。ヘ短調の第2楽章は、めずらしく全楽器が弱音機をつけて演奏するため、教会のオルガンのような響きがします。冒頭のカノンと半音階による下降線が、そのような響きを生み出している理由でもあるでしょう。メヌエット・
トリオの第3楽章では、ヘ長調に戻ります。
第4楽章はフーガです。〈ウィーン四重奏曲〉の中では、他に第6番 K. 173 にフーガが用いられています。これはハイドンの Op.20 〈太陽四重奏曲〉の影響だと思われます。この四重奏曲のセットの第2、第5、第6番の4楽章で、ハイドンはフーガを用いて作曲しています。しかも、すべて多重主唱によるフーガです。第5番では2つ、第6番は3つ、そして第2番は4つの主唱が使われています(それぞれ2重フーガ、3重フーガ、4重フーガと呼ばれます。モーツァルトは交響曲第41番〈ジュピター〉K. 551 の4楽章で、5重フーガを書いています)。モーツァルトのこの弦楽四重奏曲の第4楽章のフーガは単一主唱ですが、高度なフーガの技法が織り込まれています。ストレットが多用され、後半 (第87小節) では、主唱の転回形(反行フーガ inversus)が現れます。 主唱または応唱の終わりが、絶え間なく次の主唱につながり、このフーガは全く休むことがありません。つまり、古典派のフーガのようなカデンツを用いていないわけです。そのため、ハイドンのフーガというより、むしろバッハのフーガに近く感じられます。
L.v.ベートーヴェン(1770-1827)
弦楽四重奏曲 第4番 Op.18 No. 4 (1798-1800)
ベートーヴェンの最初の弦楽四重奏セット作品18は1798年から1800年の間に書かれ、1801年にウィーンで出版されました。この弦楽四重奏セットを嘱託したのは、ボヘミアの貴族 フランツ・ヨーゼフ・マクシミリアン・フォン・ロプコヴィッツ公(Joseph Franz Maximilian Fürst von Lobkowitz, 1772-1816)です。ハイドンの最後の弦楽四重奏曲作品77も、ロプコヴィッツ公の嘱託によって書かれたものです。またベートーヴェンの交響曲第3、第5、第6番はこのパトロンに献呈されています。
この曲は作品18の4曲目です(本当に4番目に書かれたかどうかには、諸説あります)。この6曲セットの中の唯一の短調の曲で、ハ短調で書かれています。ベートーヴェンの作品の中でハ短調の曲は少ないですが、交響曲第5番 〈運命〉 Op. 67、ピアノソナタ第8番〈悲愴〉Op. 13、そして最後のピアノソナタ 第32番 Op. 111と、よく知られている曲が多いです。
最初と最後の楽章は、通常通りの形式で書かれています。第1楽章はソナタ形式、第4楽章はロンド形式で、どちらも形式的にはとても安定しています。(ある意味では、教科書通りということになります。)この確立された形式の中で、他のハ短調の曲と同様に劇的なメロディーが自由に奏でられています。真ん中の2楽章のうちの1つは、通常 ゆっくりしたテンポの楽章ですが、この作品では第2楽章も第3楽章もテンポが遅くないのが特徴です。第2楽章のスケルツォはフーガの要素が多く見られ、各声部の掛け合いが際立っています。第3楽章のメヌエットの部分は、半音階が多く使われ、ハ短調の調性感が薄いです。これに対しトリオ部分ははっきりとした変イ長調で始まります。このハ短調から変イ長調への転調は、後にシューベルトも好んだ長3度による転調で、ベートーヴェンの斬新さを伺わせます。 (森 あかね)