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Yokohama Art Festival 

〜Ludus Quartett Winter Concert〜

World of Early Music at

the Bluff District ​No.1 

Was held at

Berrik Hall 

       on February 18, 2018

F.J.Haydn

   String Quartets No.33-3 "The bird" Hob.III:39

L.v.Beethoven 

  String Quartets No.11 "Serioso" Op.95 

ludus Quartett

Program Note:Mori, Akane

F.J.ハイドン 弦楽四重奏曲 第32番 ハ長調〈鳥〉

Op.33, No.3; Hob III:39 (1781) 

 

 ハイドンは80曲以上の弦楽四重奏曲を作曲したと言われていましたが、その中には偽作も含まれていたため、現在では全部で68曲と言われています。そのほとんどの曲が当時の慣習で6曲のセットになっています。例えば作品番号20の6曲は『太陽四重奏曲』、作品番号50の6曲は『プロシア四重奏曲』と呼ばれています。本日演奏される作品も作品番号33の6曲セット『ロシア四重奏曲』の一曲です。このセットの名前、『ロシア四重奏曲』の由来は、後にロシア皇帝パーヴェル1世(在位期間1796-1801)となったパーヴェル・ペトロヴィッチに献呈されたことによります。ペトロヴィッチ大公夫妻は1781年にウィーンを訪問し、数々の音楽会に出席しました。特にハイドンの音楽をお気に召した夫人は、ハイドンにウィーン滞在中にピアノのレッスンを受けたいと言ったようです。

 なぜ、この曲に〈鳥〉というニックネームがつけられたかは、演奏が始まるとすぐにわかると思います。まずソナタ形式の第1楽章では、冒頭から 装飾音(短前打音)が奏でられ、鳥のさえずりを連想させます。この装飾音はこの楽章全体を通じて使われています。また、第2楽章のトリオの部分(第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンによる2重奏)の第1ヴァイオリンが弾くトリルや、第3楽章の第2主題と言える八分音符と十六分音符の組み合わせのメロディー(第14小節目から)も鳥の鳴き声や動きを思い起こさせます。ロンド形式の第4楽章でも、鳥のイメージがリフレイン(Aの部分)のメロディー部分で使われています。

 ハイドンが作品番号20の『太陽四重奏曲』を作曲してから、この『ロシア四重奏曲』を作曲するまで10年の月日が経っていました。この間に彼の弦楽四重奏曲における構成の考え方は変わり、『ロシア四重奏曲』において古典派の代表となる形式が確立されたとも言われています。この弦楽四重奏曲を聞いたモーツァルトは、自らもすぐに6曲の弦楽四重奏曲を作曲し、『ハイドン四重奏曲』(ハイドン・セット)として、ハイドンに献呈しました。本日演奏される弦楽四重奏曲〈鳥〉では、確かに曲の構成的進歩を聞くことができますが、それだけではなく、時々起きるロマン派後期とも思われるような転調にも耳を傾けてみて下さい。ハイドンの前衛的な一面にも触れられると思います。

L.v.ベートーヴェン 弦楽四重奏曲 第11番 へ短調〈セリオーソ〉

Op.95 (1810)

    

 この曲は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲において中期の最後の曲に位置します。この作品の後、ベートーヴェンは後期の曲(Op.127)まで、14年間弦楽四重奏曲を作曲しませんでした。〈セリオーソ〉という名前の由来 は、第3楽章のAllegro assai vivace ma seriosoの「serioso」の部分によるものです。同じ時期の作品には交響曲第8番(Op.93)、ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第10番(Op. 96)ピアノ三重奏曲第7番〈大公〉(Op. 97)があります。この曲はベートーヴェンの友人で、アマチュアのチェロ奏者であったウィーン在住のハンガリー裁判所長官、ニコラウス・ズメスカル・フォン・ドマノヴェーツ(Nikolaus Zmeskall von Domanovecz 1759–1833)に献呈されています。

 第1楽章のソナタ形式に、これまでと違った変化が見られます。演奏を聴いてもわかりにくいのですが、その変化は楽譜を見ると明らかです。今までのソナタ形式の原則であった提示部の繰り返しの反復記号が書かれていません。(今日では反復記号があっても演奏しない場合がほとんどですが)後期の弦楽四重奏曲も、第13番(Op.130)を除き、やはり提示部の繰り返しの指示はなくなっています。これは、従来の形式(主調と属調による)から離脱し、ロマン派へと移行しようとするベートーヴェンの意思の現れでしょう。

 第2楽章では、ホモフォニックな部分とフーガの部分が交互に現れます。この楽章の最後の和音(減七の和音H-D-F-As)は、解決されずに第3楽章へと続いていきます。この楽章は〈セリオーソ〉の名前の由来のスケルツォ・トリオの楽章です。確かにスケルツォと言うには、ちょっと真剣な感じが強いかもしれません。第4楽章はロンド形式ですが、各部分の対比は少ないです。その分だけ、突然あまりに明るいコーダの部分で、我々聴衆は驚かせられます。ベートーヴェンの真意を考えずにはいられません。

 この曲は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の中では、コンパクトな曲です。おそらく、その理由は、この曲が当時にしては、半音階的な進行が多くかなり前衛的なため、たくさんの聴衆の前で弾くのではなく、小さな集まりの時、実験的に演奏してみるという意図で作曲されたからではないでしょうか。

(文:森 あかね)

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