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このシリーズでは、文化と芸術の交差点を黙々と考えている私の頭の中を

ちょっとだけ、ご紹介いたします。

 

今回、芸術と文化の交差点としてスポットを当てたのは

 

『紙』

 

音楽家にとって必要不可欠な楽譜。

とうとう、その媒体が紙からデータへ、という大変革をとげていますが、

そんな、消えゆきそうなモノに少しスポットを当ててみました。

 

現在、普通に気楽に使っている紙を洋紙とも言うのだそうですが、

その歴史は、生活と直結する様々な文明の変化に伴って大きく変わり、

量産出来るという利点で私たちの生活を支えています。

 

量産前の

バッハの時代の紙は、木綿や麻などで出来た布の再利用、つまりボロ布からのリサイクル!

ただ漂白して白くしたものなので、経年変化とともに黄ばんできます。

 

漂白していないタイプの和紙は、元々真っ白ではないけれど、黄ばむこともないそうです。

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作曲家の書いた直筆譜の大半はすでに黄ばんでいますが、

現在では近年の技術で、画像データ内の黄ばみを取り除いて読み易くして出版したもがあって、

読み易くて驚きました!

 

ほんのひと昔前は、基本的には現地に行って、面倒な手続きをして、ようやく見せて貰える物。

黄ばんだままの画像で「ファクシミリ譜」として出版された物を見れるだけでもありがたく、

それもかなり高価でしたが。。

 

洋紙が日本に伝わったのは明治になってからで、

ヨーロッパでの製紙技術が量産できるところまで達している状況、

つまり工業化された技術として伝来しました。

 

でもきっと、墨汁との相性も悪く、

ペンも

インクも、と、

「書く」ということの大変革だったのだろうと思います。

 

一方和紙は、

障子や襖といった建具にまで紙を使っている日本にとって、

無くなるはずもないモノであり、近年ではその強さと美しさで

内外を問わず多くの芸術作品や芸術的工芸品が生まれていると思います。

 

 

楽譜は、

活版印刷と紙の量産技術のお陰で、

その音楽を育んだバックグラウンドから切り離されるほど遠くまで届きます。

私達音楽家にとっては、その印刷物からその作品の奥深くを探り始める入り口で、

例えてみれば、「どこでもドア」ならぬ「音楽への扉」そのものです。

 

「紙」という一文字でしか交わっていないほど、作り方も用途も何もかもが異なる洋紙と和紙ですが、

今日はプログラムというものを介して、和紙もこの音楽空間に用いてみました。

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伝統工芸品であっても、必ずしも全てがべらぼうに高いわけではありません。
身近に親しんでこそ、という思いがあります。​

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民芸品は気軽な必需品としてそれぞれの地域で広く受け継がれてきたものですが、残念ながら技術面の基準がなく、素朴に育まれてきた良さがある反面、時代に不要のものとなってしまったら消えゆ定めなのか?少し寂しく思います。

しかし伝統工芸品は、時代に流されずに伝承されるべき技術を有して存在するものです。

 

とはいえ、使い手、買い手がなくては、存続が危ぶまれます。

作り手さん達が、今の暮らしに合わせて試行錯誤しているものも少なくありませんので、
ぜひ色々ご一覧いただきたく思い、
ご紹介させていただいます。

 

​​青山伝統工芸スクエア

 

​たのうち惠美

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