ハマのゴーシュをやる、という想い。
音楽家には向かないのかな・・・
そんな思いに駆られていた時期に出会った、宮沢賢治の本『セロ弾きのゴーシュ』
もちろんタイトルは知っていた。自分がチェロも弾いていたのに、
なんと読んだことがなかった!
でも仕事で音楽をやらせてもらえる段になって初めて、とても腑に落ちる話だと気付いた。
「コレがやりたい」
自分もゴーシュのように、目指すわけでもなく結果的に誰かの助けになっているような
そんなチェロを弾きたいと、心の底から思った。
ヒーリング?音楽療法?
すでに多勢の人たちが真剣に取り組んでいる その分野にも思えたけれど、
ちょっと違う・・・
目的は癒しでは無い
ゴーシュのように
自分のためにも弾く
それでもやっぱり私には、
自分なりの『普通』の範疇でしか音楽できない
『芸術』も人に活力を与えるけれど、
自分のは
どうも
違う
治療はお医者さんに
看護は看護師さんに
介護は介護士さんに
でも
もし
そこにお世話になる前に何か
打つ手があるとしたら?
それはきっと
音と
音楽と
言葉とで
人と人とが顔を合わせること
だから
機械から聞こえている音楽だけではまたすぐに元に戻ってしまう部分
話を聞いてもらってアドバイスをもらうだけでは補えない部分
マイナスの部分を埋め戻すのではなく
ゼロ以上の何かが生まれて、一緒にプラスの何かを共有する時間
生の音楽と、普通の会話
それが私の『ハマのゴーシュ』という
未病のためのライフワークになる思っている。
こんなこと、やってきました
3歳半〜
14歳前後
1986年
1987年〜1992年
1988年
1993年
1995年
1997年
2000年〜
2001年〜
2008年〜
2010年〜
2011年〜
2020年〜
2024年〜
ピアノを始める。ソルフェージュも同時にやっていたらしい
チェロを始める
フェリス女子短期大学音楽科でチェロを専攻
大学のほうの体育会スキー部で競技スキーもやる
スキーをするための資金作りに、オフィスビルの診療所で受付のバイトをする。人が心を病んでいく様子を目の当たりにし、薬で治る人もいるが、治らない人もいる現実とその環境を肌身に感じる
母校の音楽図書館で「なんかしょっちゅう来てるよね、バイトしない?」と声を掛けてもらい、時々手伝う
研究科の最後の頃から地元の管弦楽団にトラで使ってもらい、そのままフリーの音楽家生活に突入
母校の音楽教室の講師をさせてもらうが、留学しようかということになって離職
3ヶ月、フランスを遊学し、夏季音楽祭や講習会に参加してみるものの、習いたい先生に巡り会えず、留学を断念し、トラ生活に戻る
桐朋が富山にオーケストラアカデミーを作ったというので、行ってみることに。ちょっとお局的年齢に達していたものの、楽しい寮生活と素晴らしい練習室、とんでもない講師陣に刺激を受ける日々を送る
学業に専念するつもりだったのに、ありがたいことに地方オケのトラ業を幾つか掛け持ちしてしまい、せっかくの富山生活が二足の草鞋に
半年の休学を経てなんとか桐朋オーケストラアカデミーを修了
オケトラ業の中でも忘れられない経験、キプロスでの『フィガロ』
コンサートホール無し、オケももちろん無し、グリーンベルト有り...
それでもなんだか、みんな、オペラを楽しんでる!
しかも4世紀くらいの遺跡を見て「新しいのよ、これは」という。
そういえば演劇の歴史は古かった!とか、カルチャーショック
(ちなみに現在はキプロスにもオケがある。その事実もまた「時が経った」と感慨深い)
某私立中学の弦楽アンサンブルのチェロパート指導に関わる
子供達の伸び代に、こちらの方が教わることが多かったようにも...
子供の読み聞かせ公演に定期的に関わらせてもらうようになる
声優事務所社長が手弁当で始めた企画が大手出版社掛かりと成長し、今も私を潤してくれる仲間を得る
21世紀、始まる
「山手の洋館でなんか演奏してみたい・・」
と思ってボランティア演奏のハシリを始める。
当時は洋館にピアノが無く、ちょうど知り合ったギタリストをボランティア活動に巻き込み、ついでに生活にも巻き込んでみた
それが、Ensembleたのシックの始まりとなる
兼ねてより関わっていた、市内の音楽家団体で、拠ない事情で代表を引き受け、区役所がかりだった会則を大幅に手入れして予定通り、足掛け3年で代表を交代し、地元の区ではなかったので、その後退会。
バルブのランチコンサート、始まる
思いつく限りの企画をなんでもやってみる
助成金申請書類も山のように書く
施設などでの演奏の機会も、戴いたり打診したり、多勢の方々に活動の場をいただくようになる
Duoリサイタルや、記念となる公演を企画してゆく
そんな中、古典の音楽が自分には足りない、と感じ、Ludus Quartett を結成。モーツアルトの弦楽四重奏曲全曲演奏を始める
いいづなムジカフェスタ始まる
Ludus Quartett 第1回公演(山手芸術祭にて)
落語で観るオペレッタ『メリーウィドー』(東京文化会館にて)
東日本大震災
それまでの経験から、自分の使っている化粧品の会社さんと共同でボランティアに行きたいと思うようになり、地震から4ヶ月後あたりから行動に移す。導かれるように扉が開き、被災地に足を踏み入れる
「コンサートをやめないで」と言う数々の声に励まされ、諸々の活動を再開してゆく
被災地公演は一番遠い辺り、と決めて、10回を目標に足掛け7年、通わせてもらう
いまだに、何が出来たていたのかはわからない。ただただ、
行き場の無い思いを受け止めてもらっただけのようにも思うのに、
彼の地の社会福祉協議会から感謝状などいただいてしまった。
「ありがとう」は、いつでも、
お互い様なのだと、改めて知らされた
この間、
・高齢者施設での公演
・音楽愛好家との集い
・若い演奏家の応援
・手当たり次第に室内楽
と、
ちょっと手を広げすぎたのか
だいぶ「お疲れモード」に...
コロナが世界を襲う
自主企画50回記念公演は中止
いくら疲れていたといっても、こういう止まり方は受け入れきれない
重い腰を上げて、再び書類書きに邁進
幾つか活動してみる
が、
どうしたことか、やっぱりお疲れモードを拭いきれなかったのか、
2年目以降は書類書きを放棄して語学とビジネスを勉強してみる
語学は捗らないし、ビジネスも全く身につかないけれど、
言語の根源的哲学の違いを感じるのは面白く、ビジネスの中には「ヒト」のサガや必然・必要を知れる機会を得た
ようやく、
これまで全てが結びつき
私に演奏することの意味を見つけさせてくれた『ゴーシュ』に
戻ってこれた